BILLY JOEL in JAPAN TOUR 2006

■TOUR SCHEDULE

2006年11月28日(火) 東京ドーム
2006年11月30日(木) 東京ドーム
2006年12月 3日(日) 札幌ドーム
2006年12月 6日(水) 京セラドーム大阪
2006年12月 9日(土) 福岡Yahoo! JAPANドーム
2006年12月12日(火) ナゴヤドーム

*席種・料金 S-10500円 A-9450円



■SET LIST【2006.12.9 福岡Yahoo! JAPANドーム】

セットリスト
収録アルバム
1、ANGRY YOUNG MAN
2、MY LIFE
3、VIENNA
4、HONESTY
5、THE ENTERTAINER
6、ZANZIBAR
7、NEW YORK STATE OF MIND
8、DON'T ASK ME WHY
9、ALLENTOWN
10、THE STRANGER
11、JUST THE WAY YOU ARE
12、MOVIN' OUT
13、AN INNOCENT MAN
14、THE BALLAD OF BILLY THE KID
15、SHE'S ALWAYS A WOMAN
16、I GO TO EXTREMES
17、THE RIVER OF DREAMS
18、HIGHWAY TO HELL
19、WE DIDN'T START THE FIRE
20、BIG SHOT
21、IT'S STILL ROCK AND ROLL TO ME
22、YOU MAY BE RIGHT
----Encore----
23、ONLY THE GOOD DIE YOUNG
24、IMAGINE
25、PIANO MAN
(from TURNSTILES)
(from 52ND STREET)
(from THE STRANGER)
(from 52ND STREET)
(from STREETLIFE SERENADE)
(from 52nd Street)
(from TURNSTILES)
(from GLASS HOUSES)
(from THE NYLON CURTAIN)
(from THE STRANGER)
(from THE STRANGER)
(from THE STRANGER)
(from AN INNOCENT MAN)
(from THE STRANGER)

(from THE STRANGER)
(from STORM FRONT)
(from RIVER OF DREAMS)
(AC/DC)

(from STORM FRONT)
(from THE STRANGER)
(from GLASS HOUSES)
(from GLASS HOUSES)

(from THE STRANGER)

(JOHN LENNON)
(from PIANO MAN)


■ツアーレポート【2006.12.9 福岡Yahoo!JAPANドーム】

開演予定の18時を15分過ぎた頃、客電が落ち、ビリーのお家芸ともいうべき、鮮やかな早弾きのビアノソロが鳴り響き、きゃーーっ、うわーーっというものすごい歓声が沸き起こりました。ステージはブルー系のライティングでとってもキレイでした。ステージサイドのビジョンには、その様子が大写しに!!トラマティックな前奏から始まったのは"ANGRY YOUNG MAN"。ステージ中央でグランドピアノの前に座りながら気持ち良く演奏しながら歌うビリー。ちょっと髪が薄くなったかも(笑)でも声やその演奏は往年と比べても全く衰えておらずダイナミック!!!やっぱりビリーは素晴らしいアーティストです。最初の曲で一気に観客の心をぐっと掴みました。そして「サル、ゴリラ、チンパンジ〜〜〜♪」の曲を前奏で弾きながら(笑)続いて始まったのはおなじみの"MY LIFE"。この曲で会場がほのぼのムードで和みました。「トモアリガトウ、コンバンワ、フクオカ!!!」と叫ぶビリー。英語でちょっと髪の毛ネタなんて話して会場の笑いを誘っていました。そして"VIENNA"に続き、名曲"HONESTY"。ものすごい歓声が沸き起こりました。先ほどまでのノリノリな雰囲気から一転して、静かにしんみりと聞き入る観客。感動のあまり、終わったときの大きな拍手はいつまでも鳴り止みませんでした。そして始まったのは"THE ENTERTAINER"。とっても心和むほのぼのとした曲です。そしてシリアスな感じの"ZANZIBAR"。途中サックスのソロなどが入ったりして、会場はジャジーな雰囲気に包まれました。ビリーのビアノにはジャズが似合います。雰囲気はそのままジャジーな感じで続いて"NEW YORK STATE OF MIND"が始まりました。ニューヨーク出身のビリーには思い入れの強い曲で言葉の一つ一つを噛み締めるように歌う姿がありました。なんだかお酒でも飲みながらしんみり聞き入って見たいという気分です。そしてその後、コミカルなイントロから始まったのは"DON'T ASK ME WHY"。続いて汽車の汽笛が鳴り響き始まったのは"ALLENTOWN"。この曲、個人的に大好きで、聴いていると心に染み入って何故だか涙が出てきます。そしておなじみの"THE STRANGER"。続いて"JUST THE WAY YOU ARE""MOVIN' OUT"とおなじみのヒット曲が続きます。静かな曲"AN INNOCENT MAN"で一旦会場はクールダウン。そして前奏で映画「大いなる西部」のテーマを即興で演奏して、始まったのは"THE BALLAD OF BILLY THE KID"です。会場はいきなりカントリー風な雰囲気に。続いてしっとりした優しい曲"SHE'S ALWAYS A WOMAN"。しみじみと歌い上げます。パーカッションの太鼓の音から入ったのは力強い曲"I GO TO EXTREMES"です。とっても元気が出る曲で気分がハイになって手拍子をしている自分がいました(笑)おなじみのサバンナ風な雰囲気のイントロから始まったのは"THE RIVER OF DREAMS"。会場はとってもほのぼのでHappyな雰囲気に包まれました。その後、ギターの音がギンギンに鳴り響き、AC/DCの激しいナンバー"HIGHWAY TO HELL"。ビリーはサポートギターの役割に徹し、代わりに土建屋のおっちゃんみたいな大柄のゲストヴォーカルが登場。ビリーがこんな激しい曲を演るとはびっくり。そして始まったのは大ヒット曲"WE DIDN'T START THE FIRE"。この曲はアメリカの歴史上、重要な人物でずっと歌詞が構成されています。ノリノリな雰囲気で会場全体が相当盛り上がっていました。再び往年のヒット曲が"BIG SHOT""IT'S STILL ROCK AND ROLL TO ME""IT'S STILL ROCK AND ROLL TO ME""YOU MAY BE RIGHT"と続き、ものすごく盛り上がりを見せ、「サンキューフクオカ!!」という言葉を残してビリーはステージを去りました。その後怒涛のアンコールの手拍子やピーーという口笛が鳴り響き、再び登場したビリー。始まったのは"ONLY THE GOOD DIE YOUNG"、そして前日がジョン・レノンの命日だったということで、"IMAGINE"を演奏しました。まるでジョンが乗り移ったみたいでした。続いてビリーと言えばこの曲"PIANO MAN"。しんみり歌う姿にものすごい拍手が送られ、その後約2時間のステージは幕を下ろしました。ありがとうビリー!!!懐かしい曲を演ってくれてものすごく大満足で会場を後にしたのでした。

■コンサートあれこれ
旅行関係などで金欠状態だった私は、ビリーのコンサートに行く予定ではありませんでした。が、なんとラッキーなことにA席ではありましたが、友人経由でタダでチケットをいただけることになりました。当日はあいにくの雨模様でしたが、健康の為に約30分かけて歩いて福岡ドームまで行きました。会場に着いてからテントでパンフレットを買い込む私。(コンサートに行くときは必ず購入することに)席はスタンド席。ステージ正面から向かって右側寄りの、角度的にはとっても見やすい良席。終始和やかに友人と話しながらライブを観覧し、終了後は早良区西新にあるテムジン餃子で遅い晩御飯を頂き、そのまま自宅まで歩いて、午前様で帰宅しました(苦笑)

■ビリー・ジョエル INFORMATION
'70年代、'80年代、そして'90年代と世代を越え、常にリアル・タイムで我々に歌い続けてくれるビリー・ジョエル。そして21世紀を迎えた今でもなお、ビリー・ジョエルの名曲は時代を超えて生き続ける。

ビリー・ジョエルは、1949年5月9日N.Y.はブロンクスに生まれる。生まれて間もなく家族と共にロングアイランドに移住した彼は、3才からクラシック・ピアノのレッスンを受け始めるが、エルヴィス・プレスリーを知りフィル・スペクターのサウンドに影響を受けると、その音楽的思考は次第にロックン・ロール、ソウル、R&Bへとその幅を拡げてゆく。当時エルヴィス、レイ・チャールズ等を聴いていたビリーはビートルズの出現により、自らもロック・アーティストとなる事を決意し、地元ロングアイランドのクラブで、最初はピアノ弾きとして、そのキャリアをスタートさせる。

 プロとしてのデビューは1968年であった。THE HASSLESというバンドでバンド名と同名のアルバムをUnited Artistsレーベルからリリース。翌年セカンド・アルバム『HOUR OF THE WOLF』を発表後、このバンドは解散するのだが、間もなくハッスルズのメンバー、ジョン・スモールと二人でATTILAを結成。1970年にはEPICレーベルからアルバム『ATTILA』を発表している。だがこれも全く売れず、生計をたてる為、この頃ビリーは評論家としての仕事もこなしていたという。

 しかしビリーのロック・スターへの夢は消える訳もなく、ファミリー・プロダクションとソロ契約にこぎつけ、1971年事実上のソロ・デビュー・アルバムとなる『コールド・スプリング・ハーバー』を発表。同時にバンドを率いてのプロモーショナル・ツアーを開始するが、契約上のトラブルで中止。精神的なリフレッシュの為、ノース・ハリウッドに居を構え、ビリー・マーティンの名でピアノ・バーに出演、ピアノの弾き語りを行うが、間もなく真剣に再スタートをきるべく、曲作りを行いCBSと契約し、1973年『ピアノ・マン』で改めてデビュー。この『ピアノ・マン』が50万枚を越すゴールド・レコードとなった。この時からビリー・ジョエルは“ピアノ・マン”のニックネームで呼ばれる様になる。

 このヒットにより成功への足がかりを掴んだビリーは3枚目のソロ・アルバム『ストリートライフ・セレナーデ』を翌1974年発表した。この後、新たな決意とともにビリーはN.Y.へもどる。1976年には自らのプロデュースにより『ニューヨーク物語』を発表。

 翌1977年にはフィル・ラモーンをプロデューサーに迎え『ストレンジャー』を完成、発表。一気にスター街道を走り出すことになる。このアルバムに収録した「素顔のままで」は、翌年1978年の第21回グラミー賞に於いて最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞し、名実ともにトップ・スターの仲間入りを果たした。この年ビリーは地元N.Y.マジソン・スクエア・ガーデン3回を含む全米ツアーも大成功。サクセス・ストーリーのスタートである。4月には初来日し、東京・大阪の2公演も実現。その勢いそのままに『ニューヨーク52番街』リリースへ。このアルバムは見事ビリー初の全米No.1ヒットとなり第22回グラミー賞でも最優秀アルバム賞、最優秀男性歌手賞を受賞。1979年5月には2度目の来日を果たした。

 1980年、7作目にあたるアルバム『グラス・ハウス』を発表。アルバムはたちまちプラチナ・ディスクとなり、ビリーはまたもや'80年グラミー賞最優秀男性歌手賞を獲得。フィル・ラモーンも最優秀プロデューサー賞を受賞する。ビリーのコンサート・ツアーも初めて中近東まで及び、マジソン・スクエア・ガーデン5回公演も即日完売となった。
 1981年にはアメリカ以外の国でのアルバム・セールスが500万枚を突破。同年4月に3度目の来日公演、さらに過去の作品群を新たに今日化した初のライブ・アルバム『ソングス・イン・ジ・アティック』を9月に発表し、「さよならハリウッド」等がシングル・ヒットとなり蘇った。

 1982年4月ビリーはオートバイ事故を起こし、右親指と左手首を骨折、世界中のファンを心配させたが、9月には、現代アメリカが抱える社会的問題にもストレートに切り込んだ最も濃厚でハード・コアな作品『ナイロン・カーテン』を発表する。また世界初のCDがこの年の10月に発売されたが、それはビリーの『ニューヨーク52番街』(35DP1)であった。1983年8月『イノセント・マン』を発表、連続6枚のシングル・ヒットを放ち、アメリカだけでも当時600万枚以上のセールスを記録。翌1984年5月、4度目の来日。この時同伴したクリスティと1985年3月に結婚。(12月には長女アレクサ・レイ誕生。94年に離婚)1985年4月に新曲2曲を含む初の2枚組ベスト・アルバム『ビリー・ザ・ベスト』発表。当時300万枚を超えるセールスを記録した。

 1986年8月『ザ・ブリッジ』発表、このアルバムからは、ビリーの憧れのレイ・チャールズとの共演「ベイビー・グランド」等がヒットとなる。1987年ビリーはワールド・ツアーをスタート、6月には5度目の来日を果たし、7〜8月にかけて行われた初のソ連公演では15万人の動員を記録し、ライヴ・アルバム『コンツェルト』として年末に発表された。
 1988年8月、6度目の来日公演を東京ドームで果たした後、新作レコーディングを開始、1989年10月プロデューサーにミック・ジョーンズを迎え久々のスタジオ・アルバム『ストーム・フロント』を発表、セールスは600万枚を超えた。1990年アメリカ〜ヨーロッパ〜アメリカを廻るワールド・ツアーをスタート。1991年7度目の来日。そして、1993年通算15作目となる『リヴァー・オブ・ドリームス』をプロデューサーにダニー・コーチマーを迎え発表、全米チャート3週連続No.1を獲得した。

 1995年1月リヴァー・オブ・ドリームス・ツアーで8度目の来日。この時大阪にて阪神大震災に遭遇し1月17日の大阪城ホールがキャンセルになるが、スケジュールを押して1月19日に振り替え公演を行う。

 『リヴァー・オヴ・ドリームス』を最後に新曲中心のポップ・アーティストとしての活動から離れると宣言し、以降、クラシック作品、あるいはミュージカルを書く…など様々な噂がされていたが、1997年、ボブ・ディラン作の新曲「心のままに」も含むベスト盤『Greatest Hits vol.3/ビリー・ザ・ベスト3』をリリース。98年はワールド・ツアーを敢行。翌年1999年も2月から4月までUSツアーを行い、その合間の3月にはブルース・スプリングスティーン、ポール・マッカートニーなどとともに遂に「ロックの殿堂」入り。年末には2000 Years Tourと題し10回ほどの小規模なUSツアーを敢行し、最終日である12月31日のミレニアム・ライヴをN.Y.のMSGにて行い、その模様をレコーディング。2000年5月ビリーのアルバムとしては87年の『コンツェルト』以来13年振りのライヴ・アルバム『ビリー・ザ・ライヴ〜ミレニアム・コンサート』を発表。

 2005年には、初の全キャリアの中から1枚に厳選されたベスト・アルバム『ピアノ・マン:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ビリー・ジョエル』を発表。ビリー自身も選曲にたずさわっただけに、アーティストの本質に迫る楽曲と誰にも愛される大ヒット曲がバランスよく配置された究極の1枚となりここ日本でも大ヒットとなった。
2006年1月には、ビリー初の集大成ボックス・セット『マイ・ライヴ』を発表。今まで一度もリリースされることのなかったデモ、ライヴ、別ヴァージョン、カヴァーなど未発表曲が多数収録され、DVDにはThe River Of Dreams Tourのフランクフルト公演を完全収録(初DVD化)。このリリースに伴い、今回で最後といわれている集大成的なツアーを1月から約7年ぶりにスタートさせた。前回のツアーは'98〜'99年で、その時は64公演で110万人を集めているが、今回もチケットは各地で争奪戦になった。ビリーの地元であるNYマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)での公演は、2000年にブルース・スプリングスティーンが打ち立てたMSGソールドアウト記録10公演を破り12公演がすべてソールドアウト!と新記録を樹立。更にこのMSG公演の模様を完全に収めたライヴ・アルバム『12Gardens Live』も6月にリリースされた。

 そして、待ちに待った単独公演としては実に11年ぶりとなる日本公演が11月に決定!全作品のトータル・セールス1億万枚以上、TOP40ヒッツに33曲ランク・インさせグラミー賞はノミネートが23回、受賞が功労賞を含め6回!まさに20世紀を代表するソング・ライター/メロディ・メイカーにしてリアル・タイムのスーパー・スター、ビリー・ジョエル!時代を越えた名曲を歌い続ける彼からこの冬は絶対に目が離せない!


■リンク
○ビリージョエルオフィシャルサイト(アメリカ)
http://www.billyjoel.com/
○ソニー・ミュージックオンライン(日本)
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/SR/BillyJoel/