DAVID FOSTER & FRIENDS
JAPAN TOUR 2010

Schedule
2010年10月19日(水)
2010年10月20日(木)
東京国際フォーラム・ホールA
開場18時、開演19時



出演アーティスト
(ライブオフィシャルHPより抜粋)
David Foster(ディビット・フォスター)

約40年のキャリアを誇るカナダ出身のベテラン・ミュージシャンにして、世界的トップ・レコード・プロデューサー、ソングライター、アレンジャー、キーボード・プレイヤー。今までに15のグラミー賞を獲得した他、"カナダのグラミー"と呼ばれるジュノー賞を7回、映像関連のエミー賞を1回受賞。 サウンドトラックも数多く手掛けており、アカデミー賞には3度ノミネートされた。

70年代初めにスカイラークというグループのメンバーとしてデビュー。解散後はL.A.でセッション・ミュージシャンとなり、瞬く間に売れっ子となる。数年後からプロデュース・ワークを開始。以後、着々とステップアップを重ね、クインシー・ジョーンズと並び称されるトップ・プロデューサーとなった。これまでコラボレイトしたアーティストは、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、マドンナ、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ポール・アンカ、フランク・シナトラ、アース・ウインド&ファイアー、ボズ・スキャッグス、シカゴ、ロッド・スチュワート、チャカ・カーン、ナタリー・コール等など、数知れず。90年代には歴史あるアトランティック・レコーズの重役となり、その後傘下に自分のレーベルである143レコーズを設立している。近年は、ルチアーノ・パヴァロッティやアンドレア・ボッチェリなど、クラシック界との繋がりも深い。

1988年のカルガリー、2010年のバンクーバーと、カナダで開催された2度の冬期オリンピックで音楽監督を務めたのも、他ならぬフォスターである。またチャリティーにも積極的で、86年にデヴィッド・フォスター・ファウンデーションをスタート。ライヴ・イベントやスポーツ大会を催して資金を集め、病気の子供たちやその家族に寄付金を送っている。そこには人気アーティストはもちろん、ハリウッド・スターや著名アスリート、有名実業家などが続々。驚くことに、その交友録はマルローニ元カナダ首相やビル&ヒラリー・クリントン、マイクロソフトのビル・ゲイツにも繋がっている。


【プロフィール】

デヴィッド・フォスターは1949年11月1日、カナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー島にある街、ヴィクトリアの生まれ。公務員で音楽好きの父、厳格な母の元、6人姉妹に囲まれた唯一の男子として育つ。4歳の時、絶対音感を発見され、クラシック・ピアノのレッスンを開始。しかし11歳でポップスに夢中になり、12歳でバンドを結成。すぐに父の収入を凌ぐギャラを稼いだ。ビートルズに強い衝撃を受けたり、バンクーバーの音楽コンテストを総舐めにして、ワシントン大学の夏期音楽プログラムの最年少受講者となったのもこの頃。

63年にはバンドでロンドンへ行き、チャック・ベリーやボ・ディドリーのバックを務める幸運に恵まれたが、ものの数ヶ月でバンドが崩壊。初めての挫折を味わって故郷へ戻り、学校へ通いながら、レストランやクラブでプレイを続ける。 68年、カナダの若手ミュージシャンの登竜門とされるロニー・ホーキンスのバンドに加入。脱退後の71年にスカイラークを結成し、翌年<ワイルドフラワー>でデビューしたところ、これが全米9位を記録する大ヒットになった。デヴィッドはこれを機にL.A.へ移住。バンドはアルバム2枚で解散したが、彼はL.A.に残ってセッション・ミュージシャンになる。そしてナンバー・ワンのセッション・ドラマー、ジム・ケルトナーの信頼を獲得。憧れのジョージ・ハリスンやリンゴ・スターらを筆頭に、バーブラ・ストライサンド、ポール・アンカ、ケニー・ロジャース、ロッド・スチュワート、フィフス・ディメンション等など、名立たる大物アーティストから声を掛けられる売れっ子になった。またケルトナーとは、アティチューズなるバンドを組み、ジョージ・ハリスンのレーベルから2枚のアルバムを出している。 スケジュール表が真っ黒になるほど多忙を極めた、この頃のデヴィッド 。しかし彼はこうしたセッション・ワークに限界を感じ、プロデューサーへの転身を模索し始めた。

そして76年、ジャズ・シンガーのジェイ・P・モーガンを手掛けると、徐々に制作の仕事へシフト。初めは芽が出なかったが、79年にアース・ウインド&ファイアーへ提供した<アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン>が全米2位を記録し、グラミー賞最優秀R&Bソングに輝くと、ようやく歯車が廻り出し、ボズ・スキャッグスやアヴェレージ・ホワイト・バンド 、チューブスらを矢継ぎ早にプロデュース。<アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン>を共作したジェイ・グレイドンとは、"エアプレイ"というユニットを立ち上げ、日本のポップス・シーンに多大なるインパクトを与えている。82年は、ジリ貧に喘いでいたシカゴをプロデュース。アルバム『シカゴ16』と<素直になれなくて>のヒットで彼らを救い、プロデューサーとしてのスタイタスを確立。後続2作もプロデュースを担い、84年度には初めてグラミー最優秀プロデューサーに選ばれた。以後、チャカ・カーン、ケニー・ロギンス、ディオンヌ・ワーウィック、バーブラ・ストレ イサンド、ポール・マッカートニー、松田聖子などを次々にプロデュース。これに併行して、83年に日本制作で初リーダー作『ベスト・オブ・ミー』を発表。86年にはワールド・ワイド・デビューを果たし、ソロ・アルバムやサントラに参加する形で、自ら活発なアーティスト活動を行っている。プロデューサーとしての更なる飛躍は、90年代に入ってから。カナダでセリーヌ・ディオンを発掘したのを境に、ナタリー・コール『アンフォゲッタブル』、ホイットニー・ヒューストンが主演した『ボディガード』のサントラ盤が連続して大成功。特に後者は空前のヒットを記録し、94年度のグラミーを総舐めにした。マドンナ、マイケル・ジャクソンからフランク・シナトラまで、大物を続々手掛けるだけでなく、老舗アトランティック・レコードの重役になって、その傘下に自身のレーベル143を立ち上げてからは、コアーズやジョーダン・ヒルなど、有望な新人発掘にもチャレンジしている。そして近年は、クラシカル・クロスオーヴァーのジョシュ・グローバンやアンドレア・ボチェリ、ジャズ・スタンダード路線のマイケル・ブーブレなど、ジャンルを大きく超越したプロデュース・ワークも目立っている。


【主なプロデュース作品】

【アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン】アース・ウインド&ファイアー / 【素直になれなくて】シカゴ / 【君こそすべて】シカゴ / 【燃えつきて】ボズ・スキャッグス / 【スルー・ザ・ファイヤー】チャカ・カーン / 【オールウェイズ・ラヴ・ユー】ホイットニー・ヒューストン / 【アンフォゲッタブル】ナタリー・コール、ナット・キング・コール / 【ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー】セリーヌ・ディオン、クライズラー&カンパニー / 【アース・ソング】マイケル・ジャクソン / 【愛をこえて】マドンナ / 【ベスト・オブ・ミー】オリビア・ニュートン・ジョン、デイヴィッド・フォスター / 【ランナウェイ】ザ・コアーズ / 【アイ・スウェア】オール・フォー・ワン / 【アンブレイク・マイ・ハート】トニー・ブラクストン / 【ザ・プレイヤー】アンドレア・ポチェッリ、セリーヌ・ディオン / 【グローリー・オブ・ラヴ】ピーター・セテラ / 【"セント・エルモス・ファイヤー"愛のテーマ】デイヴィッド・フォスター / 【ウィンター・ゲームス】デイヴィッド・フォスター / 【フォーエヴァー】ケニー・ロギンス / 【グッド・バイ】エア・サプライ / 【モーニン】アル・ジャロウ / 【ワイルドフラワー】スカイラーク / 【ガット・トゥ・ビー・リアル】シェリル・リン / 【サムホエア】バーブラ・ストライサンド / 【ホーム】マイケル・ブーブレ / 【幸せなる結婚】ボール・マッカートニー / 【ウェイト・フォー・ミー】ホール&オーツ / 【朝のとばりの中で】ポール・アンカ / 【抱いて・・・】松田聖子 / 【SWEETEST MUSIC】竹内まりや

Peter Cetera(ピータ・セテラ)

1944年9月13日にイリノイ州シカゴで生まれる。ピーター・セテラには2つの特徴的なキャリアがある。一つは、昨年デビュー40周年を迎えた伝説のバンド、シカゴのヴォーカル兼ベーシストとして。そしてもう一つは、シカゴ脱退後の1986以降からのソロ・アーティストとしての活動。1967から1986年にかけては、「長い夜」、「ラヴ・ミー・トゥモロウ」等の楽曲でヴォーカルを務め、シカゴの声として活躍。中でも、シカゴが低迷期を迎えていた1984年にデイヴィッド・フォスターと組み、作り上げた「素直になれなくて」や「君こそすべて」は、AORを代表する楽曲となり、そして現在もバラードのスタンダード曲として世界中で親しまれている。シカゴ脱退後の1987年からは、ソロ活動に専念。再びフォスターと手を組み、作り上げた映画「ベスト・キッドII」の主題歌「グローリー・オブ・ラヴ」はアカデミー賞にもノミネートされた。その後も、エイミー・グラントと「ザ・ネクスト・タイム・アイ・フォール」、チャカ・カーンと「フィールズ・ライク・ヘヴン」、シェールと「アフター・オール」等、様々なアーティストと共演して、ヒット曲を世に送り出している。現在も世界中でソロ・ツアーを行い、その天性の歌声で人々を魅了し続けている。

Natalie Cole(ナタリー・コール)

1950年2月4日、ナット・キング・コールの次女としてカリフォルニア州ロサンジェルスに生まれる。幼い頃から父ナットの音楽に囲まれて育ち、11歳で ステージ・デビュー。大学を出てクラブ・シンガーとして活躍の後、キャピトル・レコードと契約、1975年にデビュー作「インセパラブル」を発表。グラミー賞の「最優秀新人賞」に選出されると同時に、「ジス・ウィル・ビー」が同賞の「最優秀R&Bヴォーカル賞」に輝き、アルバムはゴールドの売り上げを記録するなど衝撃的なデビューを飾る。翌1976年にアルバム「ナタリー」で再びグラミーを受賞する。同年、「東京音楽祭」のために初来日し、見事グランプリを獲得。続く「アンプレディクタブル」、「サンクフル」、「ナタリー・ライヴ」、「アイ・ラヴ・ユー・ソー」等、全てがゴールドやプラチナ・アルバムに輝き、名実ともに大物歌手の仲間入りをする。1980年代に入ると喉の疾患などから活動を休止したが、1987年にワーナーに移籍し「永遠の夢」で表舞台に復帰。1989年の「グッド・トゥ・ビー・バック」からは「ミス・ユー・ライク・クレイジー」のメガ・ヒットが生まれる。そして1991年、父ナットへ捧げたアルバム「アンフォゲッタブル」を発表。同年度のグラミー賞で「レコード・オブ・ジ・イヤー」、「アルバム・オブ・ジ・イヤー」など7部門を授賞。その後も、「テイク・ア・ルック」や 「スターダスト」といった大作でグラミー賞を次々と獲得。父に勝るとも劣らない人気と評価を確立する。2002年にはヴァーヴ・レコードに移籍して「アスク・ア・ ウーマン・フー・ノウズ」を、2006年には、ダラス・オースティンをプロデューサーに迎え、再び彼女の音楽のルーツに立ち還った究極のR&Bアルバ ム「リーヴィン」を発表。近年は音楽活動と並行して、熱帯雨林基金、小児糖尿病基金、アメリカ赤十字などの慈善福祉活動にも力を注いでいる。

Charice(シャリース)

1992年5月10日、フィリピン生まれ。ゴスペル、R&B系の音域の広い歌を楽々と歌い上げるという、驚異の歌唱力を持つシャリースは、YouTubeで「この歌唱力はスゴイ!」と爆発的な話題になり、約1,500万視聴を記録。アメリカで最も影響力があると言われているTV トークショー「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演、オプラを涙ぐませるほどの圧倒的な歌唱力、パフォーマンスを披露。そのパフォーマンスを観た、これまでに数々のヒットの仕掛け人である大物プロデューサーのデイヴィッド・フォスターはあまりの才能の素晴らしさに驚愕し、ワーナーミュージックとの契約の 橋渡しを行う。その後、2009年には同番組に3度目の出演を果たし、デイヴィッド・フォスター作曲プロデュースの「NOTE TO GOD」を熱唱。すぐさまUS iTunes 総合シングル・チャートで5位に急上昇し、全米大ブレイクを成し遂げた。US盤の発売日には4度目の「オプラ・ウィンフィリー・ショー」にデイヴィッド・フォスター、Iyazと共に出演。その後、アルバムチャート初登場8位を記録。このTOP10入りはアジア人初の快挙となった。遂に2010年7月7日に日本でのデビュー・アルバム「CHARICE」をリリース。天から授かった奇跡の声で早くも話題沸騰中!アジア発、全米経由、そして世界へ。今、世界中で最も注目を集めるシャリース。一気にスターダムへと駆け上がった彼女のシンデレラ・ストーリーからは、一瞬たりとも目が離せない!

Ruben Studdard(ルーベン・スタッタード)

1978年9月12日生まれ、アラバマ州バーミンハム出身。3歳という幼さで共に教師だった両親が運営に携わる教会の聖歌隊に参加、本格的なヴォーカル・レッスンを受ける。高校時代はアメフトのオフェンスライン選手として活躍、奨学金を受けて名門校に進学するが、ちょうどその頃自分の中で音楽が大きな部分を占めている事に気づいた彼は声楽を専攻、本格的にシンガーとしての 道を歩み始めた。2000年には大学を中退、シンガーになる事を決意。地元のジャズ/ソウル バンドに加入、ローカル・クラブでのライヴを中心に活動。そんなある日、グループの女性メンバーがナッシュビルで開催される『アメリカン・ アイドル・シーズン2』の地方予選に参加するにあたって、彼にオーディション同行を依頼。結果、自身もオーディションにエ ントリーすることを決意、見事地方予選を勝ち抜いた。その後、数週間に渡る激戦オーディションが続くなか、ルーベンは「スーパースター」(ザ・カーペ ンターズがオリジナル、その後ルーサー・ヴァンドロスがカヴァーした名曲)、「ア・ホール・ニュー・ワールド」(ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベルによるディズニー映画のテーマ曲)など、あのグラディス・ナイトに"ヴェルヴェット・ テディ・ベア"と名づけられる程恵まれた声質を生かし、美しいバラードを数多く披露。加えて憎めない笑顔とマイペースなキャラクターが全米の視聴者を魅了、見事優勝を勝ち取り、念願のメジャーデビューを果たした。

Canadian Tenors(カナディアン・テナーズ)

名プロデューサーのデイヴィッド・フォスターに実力を認められ、2009年のフォスターの全米ツアーに同行し、アメリカでも大きな注目を集めているカナディアン・テナーズは、その名のとおり、カナダ出身の男性テノール歌手4人によるヴォーカル・カルテット。そもそもは2004年にヴォーカル・トリオとしてスタートしたグループを母体に、何度かのメンバー・チェンジを経て、2009年からヴィクター・ミカレフ、レミジオ・ペレイラ、フレイザー・ウォルターズ、クリフトン・マリーという現在の顔ぶれによる4人組となり、クラシックの名門レーベルである米デッカより北米では同年10月に発売されたアルバム『カナディアン・テナーズ』(原題はThe Canadian Tenors)で、念願のワールドワイド・デビュー。ポップスとオペラ、クラシック音楽などを絶妙にブレンドしたユニークなスタイルのサウンドと、素晴らしい4人のテノール歌手による圧倒的な歌声の魅力で、本国カナダでもアメリカでも注目を集め、2009年10月から11月にかけて全米の主要10大都市で開催されたデイヴィッド・フォスターのツアーに、フォスター本人から誘われて、スペシャル・ゲストとして同行し、人気沸騰!! その実力は、ビル・クリントン元米国大統領やデイヴィッド・フォスターからも絶賛され、フォスターからは「彼らは自分が共に仕事をしたジョシュ・グローバンやアンドレア・ボチェッリと同じ成功への道筋を辿っている」という賛辞まで贈られている。彼らの来日記念盤は公演前の2010年10月6日に発売される。

BandMember
ジョン・ロビンソン(ドラム)
ネイザン・イースト(ベース)
タリーク・アコニ(ギター)
ボー・クーパー(キーボード)
モー・プレジャー(キーボード)


Set List

(2010.10.20 東京国際フォーラムホールA)

★David Foster
Love Theme From "St.Elmo's Fire"
Winter Games

★Canadian Tenors
Because We Believe
halleluiah
The Prayer

★Natalie Cole
Fever
Miss You Like Crazy
This Will Be (An Everlasting Love)

★Ruben Studdard
Mornin'
I Swear
After The Love Has Gone
Home

★Ruben Studdard&Natalie Cole
When I Fall In Love

★Seiko Matsuda(松田 聖子)
抱いて・・・

★Peter Cetera
Hard To Say I'm Sorry
You're Inspiration
You Leave me now
Glory of love

★Audience(客)
Fly to the moon

★Charice
Power Of Love
To Love You More
All By Myself
I Have Nothing
Always Love You

★All Singers
Earth Song


※19日には聖子さんの代わりにMisiaさんが出演したそうです!!

Live Report
(2010.10.20 東京国際フォーラムA)

定刻になり会場の客電が落ち、フォスターの映画「St.Elmo's Fire」愛のテーマ"の優しいメロディーのイントロが流れ始めました。会場はものすごい拍手が鳴り響き、ステージ両脇に設置された大ビジョンには、フォスターがこれまでプロデュースしたアーティスト、アース・ウィンド・アンド・ザ・ファイアー、シカゴ、ピーター・セテラ、チャカ・カーン、マドンナ、マイケル・ジャクソン、バーブラ・ストライザンド、セリーヌ・ディオン、ホイットニー・ヒューストン、トニー・ブラクストン、マイケル・ブーブレ、ジョッシュ・グローバン等々のヒット曲の数々のプロモーションビデオのダイジェストが次々と流れます。(その曲の数々は彼の最新アルバム『Love Again』を参照)セリーヌのAll By Myself,Power Of Love,The Prayer,When I Fall In Love,Because You Loved Me,バーブラ・ストライザンドとのデュエットTell Himももちろん含まれています。最後にホイットニー・ヒューストンのI Will Always Loves Youが流れた後、Ladies and the gentlman、Please welcome,David Foster!!!!というアナウンスが流れ、フォスターが客席の前列ブロックの真ん中からスーツ姿で登場しました。思わず観客たちはびっくりするやら、大興奮状態。笑顔で握手を交わしながら壇上に上がるフォスター。ステージセットは彼の弾くグランドピアノセットと、ドラム、ギター、ベース、キーボードというシンプルな構成となっていました。ピアノに座ると、そのままセント・エルモス・ファイアー愛のテーマを演奏。彼のピアノは本当にマジックとしか言いようがないくらい素晴らしいです。曲が終わると、1988年カルガリー冬季オリンピックのテーマ曲となった"Winter Games" の演奏。彼のマジックハンドで演奏される耳馴染みのある躍動感のあるアップテンポでキャッチーなメロディに私たちは大興奮状態になりました。やっぱりいいですよ、フォスターさん!!!曲が終わると「Good Evening Tokyo!!!」と呼びかけるフォスター。私たちは大きな歓声と拍手で応えます。「日本の皆さんこんばんわ!!!」「私のショーを楽しんでください」「ひどい日本語ですいません〜(爆)」と日本語で話すフォスターはとってもお茶目。「16年ぶりにここ東京に戻って来れてとてもうれしいよ(英語)今日は素晴らしシンガー達を皆さんに紹介します」と話すフォスターに否が応でも期待が膨らみました。

フォスターが私たち観客に「ここにはシングル(独身)の女性はいるのかい?」「ボーイフレンドはいる?」「え、君は2人もボーイフレンドいるの?」みたいな大爆笑トークを繰り広げた後で、フォスターの紹介登場したのは、カナダの実力派4人組ボーカルグループのカナディアン・テナーズ。今回が初来日です。最初にパフォームしたのは、
”Because We Believe”。最近ではアンドレ・ボチェッリが歌っていましたね。目の覚めるような素晴らしいヴォーカルに一同騒然。 曲が終わると惜しみない拍手が送られました。その後メンバーのお茶目な日本語お披露目タイム。「僕の名前は○○です〜」「僕はメンバーの中で一番背が高い○○○です〜(実は一番小柄な人だったんで大爆笑)」とかとっても簡単な日本語ですけど、それぞれ頑張ってました(笑)その後、メンバーから「この曲はセリーヌ・ディオンともデュエットした曲です」紹介された”Halleluiah(ハレルヤ)”のパフォームが始まりました。(彼らはセリーヌと今年3月にセリーヌがベガス復帰を発表した番組オプラで共演しましたね。加えてバンクーバー冬季五輪関連ではkdラングやサラ・マクラクランもパフォームしていてとても有名な曲です)しっとりと聴かせる哀愁溢れる曲に私たちは聴き入りモード。終わると大きな拍手が起こりました。ここでも「アリガトウ〜気分は最高」などとカタコト英語を連発するメンバーたち。「スイマセン、私は日本語があまり話せません〜」と話していたのには、「話してるじゃないの〜」って一人突っ込みを入れてしまった私でしたが(大爆)その後メンバーからフォスターに「獲得したグラミーのトロフィーはどこに保管しているの?」って質問したら、「ほとんどは元妻のところにあるよ(苦笑)」と話すフォスターに会場は大爆笑。「次はアンドレア・ボッチェリとセリーヌ・ディオンのために作った曲です」とフォスターの紹介で始まったのは”The Prayer”。カナディアン・テナーズも自身のアルバムにカバーソングを収録しています。今夜は彼らのボーカルでこの曲をじっくりと堪能。とっても素晴らしい素晴らしい曲に感動・・・・・・。曲が終わるとフォスターから再び「カナディアンテナーズ!!!」と紹介されて、会場は拍手の渦に包まれ、ここで彼らはステージを去りました。

フォスターから、「彼女は素晴らしい才能あるシンガーで国家の宝だ」と紹介されて登場したのはナタリー・コール。最初のパフォームはペギー・リーのカバー
”Fever”です。セリーヌがベガス公演でカバーしていたのは記憶に新しいですね。ほぼ伴奏はベースの旋律のみのゴージャスでジャシーな歌をナタリーの歌唱力でグイグイと引っ張ります。歌が終わった時、その素晴らしさにもの凄い大きな拍手が起きました。「Thank You!!!」と話すナタリー。フォスターとの楽しいトークタイムの後始まったのは、89年のヒット曲”Miss You Like Crazy”。とっても懐かしいメロディーに会場がほのぼの和みます。終わると大きな拍手が会場を包みました。次はフォスターがナタリーに「この曲はとても素晴らしいアイディアだったよ」と語りかけトークが続いた後に始まったのは、ナタリーと父ナット・キング・コールとのデュエットソング”Unfogetable”。ビジョンには父ナット・キング・コールの映像も流れ、まさにPVさながらのバーチャルデュエット状態。素晴らしい、皆この曲が聴きたかったんです。一番の大きな拍手が送られました。その後始まったのは、ノリのいいポップソング”This Will Be (An Everlasting Love)"。観客は手拍子で彼女のボーカルを後押しして、会場が一体となりました。そしてステージを去るナタリー。さすがの貫禄と上手さに「アメージング(信じられない!!!)」とフォスターはナタリーに拍手を送りました。

ここでフォスターが観客に「だれか英語を話せる人いる?手を上げて!!!」と呼びかけると男女で数名が手を上げましたが、「男性はダメ、女性がいい(大爆)」と、とある女性に白羽の矢が立ちました。そして観客席で彼女に英語で言葉を伝え、彼女が英語を日本語に翻訳し、マイクでフォスターの言葉を私たちに紹介してくれました。かなり長文だったのですが、それはフォスターから私たちファンへの感謝の言葉。プロだったら普通に出来ることでも・・・・素人さんで、フォスターのファンとして来ているお客さんですから、本人を前にとってもドキドキされているようでしたが、見事大役を務められました。

「5年前に最初に彼に会って、それ以来彼の声が大好きです。彼がオーディション番組「アメリカンアイドル」出身なのは皆さんご存じですよね。彼はその受賞者で、アメリカのソウルミュージックを歌っていて、No.1の声を持っています。彼の声で80年代にフラッシュバックしましょう。」ここでフォスターからルーベン・スタッタードが紹介され、登場しました。歌いだした曲は、アル・ジャロウの
"Mornin'"。ルーベンのボーカルはアルに負けず劣らず素晴らしいボーカル力です。間髪入れずに始まった次の曲はAll 4 Oneの"I Swear"。優しい素敵なバラードを彼のテイストで素晴らしく歌いあげるルーベン。アメリカンアイドル出身のアーティストの真の実力に恐れ入ったという感じでした。終わるとものすごい拍手が送られました。デビットがここで懐かしいエアプレイ時代のジェイ・グレイドンとの共作曲"Nothin' You Can Do About It "をワンフレーズだけピアノで即興でパフォームすると、お客さんが大喜び!!!その後、彼がプロデュースしたアース・ウィンド&ザ・ファイアーの"After The Love Has Gone"のイントロが始まり、ルーベンが心をこめて抒情的に歌い上げます。素晴らしい、本当に最高のバラードです。大きな拍手が送られました。ここでデイビットが「日本のファンは本当に曲の良さを理解してくれているので、本当に感謝しているんだ」と観客に話してくれました。それは当たり前、デイビットのメロディーラインは本当に素敵だから。ちょっと前にマイケル・ブーブレもプロデュースして・・・・と始まったのは、"Home"です。哀愁溢れるメロディはさながら秋の夜長のような雰囲気。ルーベンは見事にマイケルの曲を歌い上げてくれました。「ここでルーベンとナタリー・コールの素晴らしい共演をご披露します」とフォスターが言うと、再び衣装チェンジをしたナタリー・コールがステージに登場し、大きな拍手が送られました。二人の共演曲は以前アメリカのテレビ番組でも実現したものなのだそうです、ここで始まったのは"When I Fall In Love"。セリーヌ・ディオンとクライブ・グリフィンがトム・ハンクス&メグ・ライアン主演映画「めぐり逢えたら」の為にレコーディングした主題歌です。ルーベンとナタリーの素晴らしいデュエットを聴きながら、セリーヌたちのオリジナルソングに思いを馳せました。曲は終わると大きな大きな拍手が送られました。

「23年前、ある日本人アーティストのプロデュースをしました。彼女は日本の国宝的存在です。ここで私の友達、セイコ・マツダを紹介します!!!」とフォスターから紹介されて登場したのはご存じ日本の元祖アイドルで、現役歌手の松田聖子さん。サプライズゲストに会場からは大きな拍手が。聖子さんからフォスターとのつながりについて改めて説明がありました。「私が初めてデビットさんにお会いしたのは、23年前、私のアルバム「シトロン」をプロデュースしていただきました。(ここでフォスターに英語で話しかける聖子さん、フォスターのことをMy Teacher(私の先生)!!!と話していたのが印象的でしたが。。。そしてフォスターとのトーク)そのアルバムの中の10曲を全てプロデュースしてくださって、曲も書いて下さいました。そのアルバムは私にとってすごく大切な宝物になりました。そして23年後の今日、再びデビットさんの前で歌を歌える喜びをとてもかみしめています。(ここでフォスターに英語で話しかける聖子さんにMy Great honor!!!(こちらこそ!!)と返事するフォスター)「曲を始める?」と合図するフォスターに頷く聖子さん。それから始まったのは
"抱いて・・・"です。心を込めて大切に大切に一言一句を歌う聖子さんに会場はひたすら聴き入りモド。個人的には、よくカラオケで歌った曲でもあります!!!フォスターの曲と言われると改めて納得の素晴らしいバラードソングです。彼のプロデュースは聖子さんにとって大きな転機になったのではないでしょうか。終わると割れんばかりの大きな拍手が。「Thank You So Much!!!ありがとうございました!!!」と話す聖子さん。改めてフォスターから「セイコ・マツダ!!!!」と紹介されました。

ここでフォスターからアメリカの歴史的バンドであるシカゴの紹介がされて、「私の友人ピーター・セテラを紹介します!」とピーターが登場しました。彼はこのシカゴのメンバーでボーカルでした。シカゴ時代、そして彼がソロになってからもフォスターはプロデュースをしています。ピーターが登場すると大きな拍手が起こりました。始まったのはシカゴ時代の名曲
"Hard To Say I'm Sorry"。この曲は80年代前半に一世を風靡した曲なので、曲が始まると「懐かしい〜〜」という観客の気持ちを表すかのように、大きな大きな拍手が起こりました。抒情溢れるメロディは私たちの心を強く打ちます。素晴らしい!!!曲が終わると更に大きな拍手が送られました。ここでピーターが「日本大好き」と日本語を披露してくれました。フォスターとピーターとのトークが繰り広げられ、その後始まったのは、ほのぼのとした曲"You're Inspiration"。2コーラスほどパフォームした後、曲がストップして再びフォスターらの短いトークを挟みその後始まったのは"If You Leave me now"。切ないメロディーに聴き入る私たち。「次は映画「KarateKid(邦題ベストキッド2)」からの曲です」と始まったのは、ピーターのソロヒット曲"Glory of love"。この曲、当時から私はとっても大好きで、生で聴けることをすごくうれしく思い感動した私。映画の主演ラルフ・マッチオって今何してるんだろう???とか聴きながら思い出に浸りました。曲が終了すると改めてフォスターから「ピータ・セテラ!!!」と紹介されました。ステージを去るピーター。

ここでフォスターから客席にいる外人のお客さんが紹介されて、ステージに上がりました。彼はものすごく上手くて、
"Fly to the moon" をワンフレーズ歌いました。これって多分仕込まれた演出ですね(笑)きっと彼もいづれビックになって、フォスターに紹介される日が来ることでしょう。

そして、ここでアジアの新星で才能溢れるシャリースが紹介されて、黒の帽子&シャツ&ホットパンツ姿でステージに登場しました。大きな拍手が沸き起こり、そのまま曲が始まりました。その曲はセリーヌ・ディオンの名曲
"The Power Of Love"です。歌いだすと会場はシャリースの素晴らしいヴォーカル力に飲みこまれて、シーンとなりました。声の伸び、パンチ力、全て言うことありません。まだ10代の彼女が大人になってもっと表現力を身につけた時、きっとものすごいアーティストになるでしょうね。実はシャリースを見るのは2008年9月のニューヨークのマディソンスクエアガーデン公演でのセリーヌとのBecause You Loved Me"のデュエット共演以来です。その時は度肝を抜かれたという衝撃的な気持ちだったのを覚えています。曲が終わるとフォスターは彼女のことを色々話して「私の子供みたいな存在」「とても素晴らしい!!」「彼女はまた来年2月にツアーで日本に戻ってくるから、皆見に行ってね」と彼女のことを激励していました。「今日は彼女にはセリーヌやホイットニーの曲を歌ってもらうけれど、彼女の曲は彼女がツアーに戻ってくる2月にじっくり聞いてね」と話すデイビット。まだあどけなさの残るシャリースはデイビットに、照れながら「Thank you so Much!!!」連呼していました。次は「セリーヌの曲です」と、フォスターの紹介で始まったのは"To Love You More"。素晴らしい歌唱力に、観客も納得という感じです。最後のサビはリズミカルに小刻みにドラム伴奏が入り、本家本元とは違ったダンサブルなイメージに。いや〜本当に上手い!!!上手すぎます。ニューヨークで見た2008年時よりも、ボーカルに表現力が出てきたという感じ。まさにフォスター直々のレッスン成果ではないでしょうか。フォスターが「東京のオーディエンスはとても素晴らしい、グレート!!!!」と話しました。その後シャリースが「こんにちは。私はシャリースです!!!」と日本語で話すと、大きな拍手が送られていました。ここでは各アーティストとも日本語の披露がノルマだったのでしょうか(大爆)ここでシャリースが数分トークを繰り広げたんですが、言葉がちょっと聞き取れなかったけど・・・日本の大好きなものなどを話していたのかな〜とも思いました。その後始まったのは、同じくセリーヌの"All By Myself"。この曲はすごく難しいハイノート(高音)の曲なのです、シャリースはいとも簡単に歌ってしまいます。本当にサスガとしか言いようがありません。曲が終わると割れんばかりの拍手が送られました。次は映画「ボディガード」からの曲と紹介されて始まったのは、ホイットニー・ヒューストンの"I Have Nothing"。ホイットニーのボーカルに負けじと力強く歌い上げる彼女。そして間髪入れずに"Always Love You"が続き、見事に歌い上げました。(残念ながら本家本元のホイットニーはドラッグの影響で喉を痛め、もうこんな力強く歌えないので、ある意味シャリースのボーカルが貴重に思えます)今日一番の大きな大きな拍手、スタンディングオベーションが送られました。

そして次は、フォスターがマイケルとの思い出を語りながら、「マイケル・ジャクソンと共演した曲です」と紹介して始まったのは
"Earth Song"今春開催されたグラミー賞でのマイケルトリビュート、セリーヌやアッシャー、キャリー・アンダーウッド、スモーキン・ロビンソン、ジェニファー・ハドソン達のパフォームが印象的だったこの曲を、今夜はシャリース、ナタリー・コール、ルーベン・スタッダード、ピーター・セテラ、カナディアンテナーズらの豪華リレーでパフォーム。グラミーの再現をここで聴けるとは思わなかった私は大感激しました。改めてマイケルの偉大さを感じながら、ステージは終了を迎えました。歌手とフォスターが一列に並んで、手をつないでお辞儀。私たちはスタンディングオベーションと大きな拍手で応えました。いつまでも鳴りやまない拍手。手を振りながらステージを去るアーティスト達。終わりを惜しむかのように拍手はいつまでもいつまでも鳴りやみません。一度だけフォスターがステージに再登場して、再び去って行き、ジ・エンド。約2時間15分でコンサートは終了しました。

コンサートあれこれ

迷いなく即参戦決定


7月頃にこのコンサート開催が決まって、即東京へ行くことを決めました。だって大ファンのセリーヌ・ディオンの恩師にあたる方で、数々のアーティストのヒット曲を生み出してきた大プロデューサーですからね!!!彼の来日公演は、16年前の1994年に開催された、「JT SUPER PRODUCERS '94 」のライブで来日して以来です。この時は今や大スターのセリーヌ・ディオン、ピーボ・ブライソン、ジョン・グレイドン、カラー・ミー・バッドらを連れての来日でした。日本人としては、杏里さんが出演していました。この時は残念ながら行けなかったので、友人からビデオをダビングしてもらったのを思い出します。この素晴らしいコンサートを再び今度は生で見れると思うと、本当に楽しみで胸が高鳴りました。


≪「JT SUPER PRODUCERS '94:日本武道館」での
セリーヌ・ディオンやピーボ・ブライソンらのパフォーム≫
 
 
怒涛のライブウィーク〜3日ぶりの東京へ

実は3月15・16日の週末にもキャンディ・ダルファーライブの為に上京していた私ですが、今日20日(水)に再び上京。短期間の間に何回行っているんだって感じですよね(笑)今回はさすがに間隔が短いので、体力的にしんどかったです。(ちなみに次の日21日(木)夜はサラ・ブライトマンのコンサートも楽しみました。詳細は後日サラのレポートで!!!!)

飛行機が遅れて到着(-_-;)

当日は福岡空港から10時発の飛行機に乗り、のんびり東京に向かう予定で、搭乗口で搭乗のアナウンス待っていたら、30分前になっても飛行機が全く到着しないんです。どうも到着が遅れているらしい・・・。時間に正確な日本でもこんなことって起こるんですね。結局通常搭乗のアナウンスが開始されるころの離陸15分前頃にハッチに到着して、乗降後、飛行機は予定より30分〜40分近く遅れて離陸しました。飛行機の時間、到着時刻には余裕を持って予約しておくことが大切ですね(苦笑)

老若男女で熱気あふれる会場


フォスターの曲を好む年代は、彼の芸歴の長さ、またプロデュースする歌手の皆さんの年齢層に比例して、とても幅広く、会場には老若男女沢山の客層の人々でいっぱいでした。


空港に住んでいる気分(?)


今回は22日(金)の早朝ANA便で来福予定だったので、宿泊は羽田空港内の羽田エクセルホテル東急に2連泊。まるでトム・ハンクス主演映画「ターミナル」みたいに、羽田空港に住んでいる、いえ長期滞在している人のような気分になりました(笑)国際線オープンによる羽田のハブ空港化に向けて、このホテルは利用客増を見込んでいるのだそう。(実はこの次の日が国際線オープンだったので、このホテル、良くテレビに出てました・・・・自分の宿泊するホテル内のテレビで、自分がまさに宿泊しているホテルの映像を見るのって不思議・・・)


ビジョンがあって安心!!!

以前この会場でシェリル・クロウのライブを楽しんだ時は、ステージにビジョンがなくて、アーティストの表情が豆粒って感じだったのですが、今回はちゃんとビジョンがあって、とても見やすかったです。オペラグラスを忘れてきていたので、とっても助かりました。

セリーヌがいっぱい

開演前のダイジェストプロモビデオはもちろん、カナディアン・テナーズやナタリー・コール、シャリースなどが沢山セリーヌの曲をパフォームしてくれたので、この会場には実際は居ないけれど、私たちは常にセリーヌの存在を意識しながらライブを堪能することが出来ました。欲を言えばセリーヌ本人の歌声が一番なんですが、他の才能あふれるアーティストがセリーヌの曲をパフォームしてくれるのも凄く素敵で、また違った雰囲気を楽しむことが出来ました。


才能あふれるアーティスト達

今回フォスターが連れてきたアーティストはさすがの実力派揃いで、もう言うことなしってくらい完璧なコンサートでした。特に個人的には、オプラでセリーヌも共演したカナディアンテナーズ、貫禄のナタリー・コール、2008年にニューヨークでセリーヌと共演したシャリースの迫力のパフォーム(詳細はセリーヌライブレポで)は鳥肌ものでした。カナディアン・テナーズはカナダ版イル・ディーボというカンジ。とてもうっとりするような美しいコーラスでした。シャリースは帽子をかぶっていて、表情があまり見えなかったのが残念でしたけど、2008年に比べるとメジャーデビューを果たして、明らかに洗練して垢ぬけしてきました(笑)まだあどけなさが残っていてシャイな感じで口数も少ないんだけど、歌いっぷりは貫禄十分!!!!これからのさらなる成長が楽しみだなって思います。

2010.3 オプラでのセリーヌと
カナディアンテナーズの共演
 
2008.9 NYマディソンスクエアガーデンでの
セリーヌとシャリースの共演
 

あの"真鍋かおりさん"を見た!!!
フォーラム内で、フォスターのライブをお付きの数名の方達と鑑賞している真鍋さんを発見しました。会場から出られる時もずっと後ろにいらっしゃって、なんだか不思議な感じ。フジテレビ「とくダネ!」の小倉さんや中野アナも前日の初日ライブをご覧になったというから、レギュラーの真鍋さんも勧められてご覧になったんでしょうね。テレビで見るよりも更に細くて背が高いなあと思いました。

セリーヌファン同窓会
今回のライブは、私のセリーヌファン仲間との再会という目的もありました。私たちの中ではカナダ人同士のフォスターとセリーヌは師弟関係でイコールですから!!!!今年2010年春に公開されるハズだったセリーヌの2008-2009年ワールドツアードキュメンタリー映画「Celine Through The Eyes Of The World」を、ツアー参戦同窓会を兼ねて皆で見ようと計画を立てていたことが、正式発表される前に公開がいつの間にか流れ、私たちの同窓会もお流れになりました。だから、今回は仲間と再会するいいきっかけとなり、フォスターさんに感謝感謝です。ライブ中はもちろんライブ後にレストラン「Planet 3rd Tokyo」で食事をしながら、皆さんで楽しい時間を過ごしました。

福岡空港
飛行機が遅れて到着したのでびっくり!!!
空の上は素敵な風景
何度見ても癒されます・・・・
羽田空港
背後に見える茶色の建物は
宿泊予定の空港隣接ホテル
羽田空港第2ターミナルロビー 羽田エクセルホテル東急入口
第二ターミナルに直結

今回はこちらに宿泊しました!!!
羽田空港第2ターミナルは最近拡張したのだそう
拡張した部分のロビー
チェックイン時間にはまだ早かったので、ターミナル内の「ワールドワインバー by ピーロート」で軽くランチ
昼間からビールを飲む私はもうヨーロッパ人(笑)
ビールは
「Pfungstadte Edel Pils」(フングシュタッター エーデルピルス)
羽田エクセルホテル東急
14時になってチェックインしました
今回は22日(金)早朝便で帰福することを考えて、
この便利なホテルをチョイス
ホテルの部屋はこんな感じ
ビジネスユースのホテルですね!!!
東京国際フォーラム
今夜はこちらでデビット・フォスター&フレンズライブを楽しみます
夜のフォーラムは綺麗ですね
コンサートの為に、続々と人が詰め掛けていました

生ビール

野菜にバルサミコのドレッシング

チキン
レストランPlanet 3rd Tokyo
他にもピザやパスタなどいただいたのですが、話に夢中になり撮影し損ねました・・・・・(苦笑)
モヒート
ラムベースのカクテル
ペパーミントがさっぱりして美味
アフォガード
バニラアイスに熱いエスプレッソがけ
シメはコーヒー

NEWS記事

Dフォスター、聖子らと共演!16年ぶり日本公演
(2010.10.21読売報知より)

1970年代から世界的なヒット曲を輩出し、約5億枚を売り上げているカナダ人音楽プロデューサーのデビッド・フォスター(60)が20日、16年ぶりの日本公演を都内で行い、ピーター・セテラやナタリー・コール、松田聖子らと共演した。
 聖子は、英語で再会を喜び合い笑顔でハグ。フォスターが1988年にプロデュースした「抱いて…」を熱唱した。
 また、日本初ライブの18歳新人・シャリースが大トリで登場。映画「ボディガード」の主題歌などを驚異のパワーで表現し、5000人の観客を総立ちさせた。フォスターはフィリピンの歌姫に「アジアの宝だ。出会った中でも1、2を争う才能」と絶賛。2時間超の公演は、故マイケル・ジャクソンさんの「アース・ソング」を全員で合唱し締めくくった。


松田聖子、デヴィッド・フォスターと共演
(2010.10.21サンスポより)

 全世界でのセールス5億枚、グラミー賞受賞15回を誇る米国の音楽プロデューサー、デヴィッド・フォスター(60)の16年ぶりの来日公演が20日、東京国際フォーラムで行われ、歌手の松田聖子(48)がゲスト出演。フォスターが88年にプロデュースした「抱いて…」で共演した。


あとがき

本当に素晴らしいコンサートで、フォスターの偉大さが実感できたと共に、才能あふれる新旧アーティストを堪能出来て、大満足です。はるばる福岡から上京して良かったと心から思える一流のライブでした。また機会があったら、このような形でのライブを見てみたいなあと思います!!!出来ればセリーヌとフォスターの共演が見たいなあ。


パンフレット&お土産

「日本の音楽ファンの素晴らしいところは、アルバムの裏に書かれている人の名前(フォスター自身)が、
表に書かれている歌手の名前と同じくらいに重要だと考えて下さることです
というコメントに微笑んでしまいます!!!
フォスターのツアーパンフレット
最初の見開き2Pはフォスター、その後は共演アーティストの内容

アジアツアー版パンフレットとなっています
パンフレット表紙 Gさんから
八ツ橋も栗も大好きです!!!
Mさんから
映画グッズをいろいろ

Link

★ジャパンツアー公式HP
http://dff-japantour.com/

★David Foster Official HP
http://www.davidfoster.com/

★Peter Cetera Official HP
http://www.petercetera.com/

★Ruben Studdard Official HP
http://www.rubenstuddard.com/

★Natalie Cole Official HP 
http://www.nataliecole.com/

★Canadian Tenors Official HP
http://www.canadiantenors.com/

★Charice Official HP
http://www.charicemusic.com/

★松田聖子 Official HP
http://www.seikoweb.com/
http://www.universal-music.co.jp/kittymme/artist/matuda/

★Celine Dion Official HP
http://www.celinedion.com/